The mystery of glasses



探偵、それはおよそ謎というものに目がない生き物である。

逆説的に言えば、謎に惹かれてやまないからこそ、探偵になるという事もできるのかもしれない。

となれば当然、その卵であるハリントン学園探偵クラスに所属するエミリー・ホワイトリーもその性は兼ね備えていた。

そう、探偵の卵たるエミリーもまた謎という謎には興味を惹かれずにはいられないのだが、最近、その彼女の目の前にまさに解明できない謎が毎日ぶら下がっているのだ。

それが・・・・。

「・・・・・」

放課後の教室で、エミリーはじいっとその『謎』を見つめていた。

夕暮れ前の少し弱くなった日差しが縁取るのは、向かいに座る青年一人。

ハリントン学園の制服を野暮ったいほどに規定通りきっちり着て、二人の間にある机に置いた今日の課題に取り組んでいる青年の名は、ジャン・ルーピンだ。

しかしこの青年『自体』の謎は、エミリーは実はもう解明していたりする。

なにせ、この一見すると気弱で鈍くさいルーピンは。

「・・・・ねえ、ルパ」

ン、と紡ごうとした瞬間、ルーピンは勢いよく顔を跳ね上げた。

「わあああっ!って、あ、あの、なんですか、わ、あああっ!?」

がたがたっ!

顔を上げた動作があまりにもオーバーリアクションだったせいか、勢いあまってルーピンが椅子から転げ落ちる。

「だ、大丈夫!?」

驚いてエミリーは床に尻餅をついているルーピンに駆け寄った。

と、その瞬間。

「きゃっ!?」

助け起こそうと伸ばした手を逆に引っぱられて、エミリーは態勢を崩した。

転ぶかと思ったが、その体は床よりはずっと柔らかいものにボスッと着地する。

同時にぎゅっと抱きしめられて、エミリーはさっきの大袈裟な反応が、こうするための準備だったことに気が付いた。

腕の中に囲われた状態で、エミリーは顔を上げて目の前の彼を軽く睨む。

「ル ―― 」

そして何か一言文句を言ってやろうと思って開いた口はそこで止まった。

その様子に察したのか、「ああ」と呟いて、彼は赤い縁の眼鏡を無造作に外した。

「これでいい?エミリー。」

ジャン・ルーピンとは似ても似つかぬ根底に自信を秘めた声と艶やかな視線 ―― それは彼の秘密の姿であるルパンJr.のそれだった。

「ルパン・・・・」

からかったわね?という意味を込めて睨んでやると、ルパンはくすくすと笑った。

「さすがに無人の教室で名前を呼ばれたぐらいじゃ動揺しないさ。」

「う〜・・・・」

そう言われて見れば確かにそうだ。

ルーピンがルパンJr.の世を忍ぶ仮の姿であることは当然トップシークレットなので、誰かいることろでうっかりエミリーがルパンと呼びそうになると、ルーピンが咄嗟に何かやらかして誤魔化すのが普通になっていたので、つい本気で慌ててしまった。

騙された、とやや悔しそうな顔をするエミリーに、楽しそうに笑いながらルパンは「それにさ」とそのアメジスト色の瞳でエミリーを覗き込んだ。

「あんなに情熱的に見つめられたら、応えたくなってしまうだろ?」

艶めいた色を含んだ言葉に、エミリーが頬を赤くする・・・・というルパンの想像を裏切って、エミリーはきょとんとした顔をした。

「え?情熱的?」

なんのこと?と言わんばかりのエミリーの言葉に、ルパンはやや拍子抜けする。

「さっき、課題そっちのけで僕を見つめていたよね?」

「あ・・・・」

思い当たった、という顔をするエミリーに、今度こそ甘い展開かと思いきや。

「ち、違うの!あれは貴方を見ていたっていうわけじゃなくて!・・・・あ、でも違うのかしら、見てたのかしら?」

否定して肯定して更に疑問型という非常に複雑な事をして首をかしげられて、さすがにルパンも首をかしげた。

「僕は確かに君の視線を感じたと思ったんだけど。」

そりゃもう、穴が空くかと思うほどに。

それが何とも思っていない女性からの視線なら、適当に受け流すなりできるのだが、他ならぬ愛しい恋人からの視線ともなれば、大人しく課題などやれたものではない・・・・とは格好悪いので言わないけれど。

などとルパンは思っていたのだが、エミリーがなんとなくバツが悪そうに、視線を彷徨わせて次に言った言葉は、彼の予想の見事に斜め上をいくものだった。

「えーっとね・・・・貴方というか、『それ』を見ていたの。」

『それ』、そう言ってエミリーが指さしたのは ――

「・・・・眼鏡?」

そう、さっき外した赤縁の眼鏡だった。

「そう。だってその・・・・不思議で。」

「不思議?」

首をかしげるルパンに、エミリーはため息を一つついて、ここしばらく自分を惹き付ける謎について口を開いた。

「だってその眼鏡を掛けると貴方、ちゃんと『ルーピン』になるじゃない。外されそうになると大騒ぎするし。なんだかみんなにも眼鏡が無事ならルーピンも無事とか言われてるし。もしかしてすごい秘密が隠されてたりするのかなって考えてたら止まらなくなっちゃって。」

いや、変な事を言っているとは自分でもわかってはいるのだけれど、と困った顔をするエミリーをしばし見つめて。

「くっ、はははっ!」

「!」

派手に笑い出したルパンに、エミリーは軽くショックを受ける。

「ちょっと!何もそんなに笑わなくたっていいじゃない!」

素朴な疑問なのに、とエミリーは頬を膨らませた。

(だって不思議じゃない。)

理由はさっきもルパン本人にぶつけたが、とにかくこの『ルーピン』がかけている眼鏡は実に不可思議な存在だった。

今、ルパン=ルーピンだと知ったからこそ眼鏡を掛けていてもルパンなんだ、と思えるが、その関係を知るまでは、ルパンにもルーピンにも顔を合わせていたにもかかわらず、エミリーは二人が同一人物だと疑ってもいなかったのだ。

ルパンの変装がそれだけ完璧ということなのだが、それにしても眼鏡一つである。

「だって、『ルーピン』は『ルパン』が眼鏡を掛けてきちっと制服を着ているだけよね?」

「そうだね。」

まだくっくっと笑いを残しながらも面白そうにルパンは頷く。

「髪の色も瞳の色もそのまんまでしょ?」

「うん。」

そう言って細めるルパンの瞳は魅惑的なアメジスト色だ。

ルパンの姿の時より僅かばかり大人しい髪も同じ金色。

「・・・・やっぱり納得いかないわ。」

むうっとエミリーがそう呟くのは、こんなに身近に怪盗が、しかもこれほど分かりやすい変装をしていたにもかかわらず見抜けなかった探偵の卵の矜持だ。

そんなエミリーを見ていたルパンだったが、きゅっと口角を上げるとおもむろに言った。

「じゃあ、調べて見たらどう?可憐で好奇心旺盛な探偵の卵さん。」

「え?」

「君が手に取ってこの眼鏡に魔法がかかっているのか調べて見るといい。」

思いがけぬ提案にエミリーは目を丸くした。

何せルーピンは頑なに眼鏡を手放さないので、問題の眼鏡に触れた事はなかった。

(でもこういう風に言うってことは、眼鏡に何か仕掛けがあるの?それとも・・・・)

半信半疑で眼鏡に何か秘密があるのでは、などと言ったものの、こう意味ありげに眼鏡を見せられると何か本当にとんでもない秘密があるのではないかとムクムクと好奇心が頭をもたげてくる。

そんなエミリーの心の内などお見通し、というようにルパンはわざとらしくエミリーの前で外した眼鏡を揺らしながら、「ただし」と言い添えて。

おもむろに、その眼鏡を掛けた。

「あ」

別にどうという事は無い仕草だったのに、一瞬どきっとしてエミリーは声を零した。

その間に、華やかな怪盗は姿を消し、目線はやや下がり気味、ガラスの下から覗くアメジストの瞳は、大胆不敵から、気弱で困っているようなそれに変わり。

「あの・・・・僕がかけているのを、その・・・・あなたが外すなら、ですが。」

「え、ええ?」

(ルーピンがかけている眼鏡を私が外したら調べて良いってこと!?)

エミリーは突きつけられた条件に、思わずぽかんっと口を開けてしまった。

確かにあの眼鏡は気になる。

ものすごく気になる。

出来る物なら手に取って調べてみたいと好奇心はうずうずしている。

(でも・・・・)

取りあえず胸の当たりまで上げた自分の手を軽く握って改めて見れば、未だに床に座り込んだまま、彼の腕の中にいたせいで至近距離にある困ったようなルーピンの視線とぶつかる。

調べるにはこのルーピンから眼鏡を外さなくてはならない。

眼鏡の秘密はさっぱりわからないけれど、ともかく眼鏡を外せばスイッチが切り替わるようにルパンになることは経験上わかっているわけで。

そこでちらりと脳裏をよぎるのは、眼鏡を掛ける直前にルパンが見せた楽しげな笑み。

誰もいない教室、至近距離、加えてエミリーの手で眼鏡を外す行為・・・・。

(・・・・・・・何故かしら。眼鏡を外した途端、調べるどころじゃなくなりそうな気が・・・・。)

何かと鈍いと言われがちなエミリーでも、うっすらとそんな危機感を抱いた時。

「ミ、ミス・ホワイトリー?」

探るような声のくせに、追い打ちをかけるようなルーピンの声に、エミリーの心臓がドキドキと音を立てる。

エミリーの中の好奇心が言う。

これはチャンスだ。

ずっと謎に思っていたルパンとルーピンの切り替えの秘密を知るチャンス。

けれど、エミリーの中の本能が叫ぶ。

これはピンチだ。

この状況で、眼鏡を外してルパンがそのまま大人しくしているか?

答えは間違い無くNO。

ドキドキとエミリーの心臓の音がじょじょに大きくなる。

それは、未知の謎が明らかになることへの期待からか。

・・・・それとも、恋心が甘い予感と不安に震えるからか。

もはやどっちともわからぬ鼓動に後押しされるように、とうとうエミリーは握っていた手を開くと伺うように自分を見つめているルーピンの米神へと両手を伸ばして ――











―― さて、見習い探偵は怪盗の謎を解いたのか、それとも恋人の甘い口付けに有耶無耶にされてしまったのか、それは新たな謎ということで。











                                             〜 END 〜
















― あとがき ―
絶対一度は突っ込みたい、あの赤メガネ!!!
なんでアレを駆けただけで全員ルパンだってまったく疑わなくなるんだ(笑)